窓辺のレモンティ

社会人となり数年。今この瞬間、自分を生きるために。

無駄なことに時間と労力がかけられ過ぎている

この記事を読んで下さっている方の中には、仕事にやりがいを感じて生き生きと働いている人もいるかもしれない。しかし私が今行っている仕事は、悲しいことに無駄としか思えないものだ。

 

そう感じた私は、担当業務を一つ一つ検討してみたことがある。

 

必要性が感じられない業務もあるが、中には処理自体はやらざるを得ないといった種類のものもある。だがやり方やシステムを見直し変更すれば、私の業務は必要なくなると思った。

 

新しい取り組みを行い、システムを丸ごと変え、やり方を大幅に変更するとなれば、会社全体を巻き込む大きな改革になる。コストや他の様々な面でも容易でないことは理解できる。組織規模が大きくなるにつれてより難しくなるだろうし、私の考えは単なる夢物語と言えるかもしれない。しかし効率化の効果や人件費削減等のメリットを考えると、投資コストを相殺して余りあるのではないかと感じるのも事実だ。

 

私の勤め先は他の多くの日本企業同様、仕事量が多く残業も頻繁にあるが、それは無駄なことをしているからだという印象が強い。非効率的で無意味な時代遅れのシステムで動いているからである。乱暴に言えば、私も含めみんなで無駄なことをして、会社側は無駄なことにお金を支払い、結果私たちは疲れ果てて、時間や人生そのものさえ奪われている気がする。このようなことにいったい何の意味があるのだろうか。

 

もし今働いている会社のシステムや制度が根本から変わり、仕事のやり方や進め方が改善されたらどうなるだろうか。私の場合、残業する必要など全くなく、毎日働く必要すらなくなるだろう。

 

そうしてもっともっと考えていったところ…

 

私は会社に行く必要すらなくなってしまった。

 

これは在宅で仕事が可能という意味ではなく、そもそも私の担当はいらないと思った、ということである。

 

さらに進めると、先輩も上司も必要なくなってしまった。この会社だっていらないかもしれない。

 

…あまりに極端な思考かもしれないが、そんな風に考えたことがある。

 

「世の中は理不尽だ。組織には無意味なことや無駄なこと、非効率的なことなんて山ほどある。しかし、みんなそうやって生きているのだ。その中で生きているのだ。」そう言われてしまえばそれまでだけれど、どうしても納得できないのだ。