窓辺のレモンティ

社会人となり数年。今この瞬間、自分を生きるために。

最近の天気予報はおせっかいな気がする。

 

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こんばんは。瀬戸こなつです。今日は短めに…!笑

最近テレビで天気予報を見ると、過剰に親切だと思うことが多々あります。

 

天気予報のおせっかい情報

 

降雨の予報であれば、傘は大きめのものが良いか、折り畳み傘で大丈夫かということまで助言してくれます。

 

それから、適した服装をイラスト付きで説明してくれるところもあります。少し肌寒いということであれば「薄手のカーディガンがあった方が良いでしょう」、気温が上昇して暑くなる場合は「今日は半袖で良いでしょう」といった具合です。

 

局によっては、CGを使って明日の1日の空模様をシミュレーションする番組も。

 

そして特に気になるのは洗濯情報です。言うまでもなく、天気予報のマークと洗濯物の乾きやすさマークは連動することになります。私は最初見たときに「コントか!」とつっこんでしまうところでした。笑

 

これは視聴者のニーズではない!と思いきや…

 

これが本当に多くの視聴者が求めていることなのか、と常々疑問だったのですが…。調べてビックリすることがありました。

 

「おしゃれ天気」なる無料の天気予報アプリを見つけ、「今日の天気とコーデが一度にわかる!」「体感温度から毎日のコーデを提案!」と謳われていたのです。可愛らしいイラストまであります。アプリの評価は高く、重宝しているという声もちらほら。

 

洗濯予報のアプリもあり、天気と洗濯情報をアイコンでお知らせしてくれるようです。こちらも評価は上々で、毎日助かっているという声も

 

自分で考える、ということ

 

自分が何を着るか、洗濯物を干すかどうか、傘は持っていくかという事柄は、天気と気温等の情報から自分で判断することではないかと思うのです。

 

この天気予報の例のように、最近は日常のほんのわずかな思考の機会さえどんどん奪われているように感じます。それを「便利なこと」だと錯覚してしまうのは悲しいことです。

 

自分で感じ考え、選択して決断し、その結果がどうであれ自分で受け止める、ということが生きる上での基本ではないかと思います。確かに、空や雲の様子、匂い、その他の気象現象などから、個々に天気を予想していた時代と比べれば(今でもそういうことは多少ありますが)格段に劣るかもしれませんが…。

 

情報過多のコンテンツ

 

もちろん、私もその基本的な姿勢がいつも出来ているわけではありません。些細なことでも人のせいにしてしまったりして、反省することもしばしばです。でもだからこそ、改めて意識していこうと思っているところです。

 

またどの分野でも言えることですが、これ以上情報を加えたり、何かを足し算しても、コンテンツの魅力は低下することが多くなるのではないかと思います。そもそもその足し算は本当に必要なのか、何から何までお世話をするサービスがどんな影響をもたらすのか、便利という言葉を履き違えていないか、という視点も大切にしたいです。少なくとも私は、天気予報に関しては「明日の天気と気温、週間予報」が分かれば十分です。