窓辺のレモンティ

社会人となり数年。今この瞬間、自分を生きるために。

片付けることで、過去にも「片をつける」

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 断捨離の著者であるやましたひでこさんによると、モノを溜め込んでしまう人には大きく分けて3つのタイプがあるという。現実逃避型、過去執着型、未来不安型である。

 

 現実逃避型は、そもそも片付かない現実から目を背けて、見ないようにしている人。過去執着型は、「今」ではなく「過去」に焦点を合わせているため、過去のモノに執着して手放すことができない人。未来不安型は、「いつか使うかも」、「そのうちまた必要になるかも」というように未来への不安が強く、必要以上にモノを溜め込んでしまう人。

 

 これで自分や誰かを分類するわけではなく、この3つのパターンが一人の人間の中に混在しているという認識が正しいようである。自分としてはそこまで自覚は無かったのだが、断捨離を進めていくと、私は「過去執着型」が非常に強いということに気付かされた。

 

 私には、過去のある出来事によってそれまでの全てを奪われてしまった、というような経験がある。そのため、その出来事が起こる前の、自分にとって最も楽しく幸せだった(と記憶している)時期のモノをたくさん抱え込んでいたのだ。いわゆる思い出の品である。

 

 私にとっては、それらのモノがあることが普通であったし、大事に持っていることが当たり前だった。日常の風景にも馴染んでしまっていたので、自分では自覚や意識が特に無かったのである。

 

 断捨離をする以前にも、普通に片づけはしていたのだが、その時も一度として、捨てるとか手放すという選択肢は考えたことの無かったものである。

 

 しかしモノと対峙し、客観的な視点で改めて周りを見渡してみると、確かに私の周囲にはその当時のモノが溢れていた。ほとんどが、考えてみればずっと昔のモノばかりだ。

 

 一方で、それ以降に自分で買ったお気に入りのモノはとても少なかった。もう十数年も前のことなのに…。断捨離を通して、そんな現実を私は初めて自覚し、同時にビックリしたのである。

 

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 そして、1つ1つのモノと向き合っていった。「これは今の私にとって必要なモノなのか?」「今の私にふさわしいものなのか?」「これを持っていることで私は心地良いのか?」

 

 結果としては、今の私にとって必要であったり、相応しいものはほとんど無かった。モノと自分との関係性を考えてみると、その多くがとっくの昔に終わっていたモノの役目を考えてみても、その当時で既に終了していたものが多い。

 

 こうして、私は今まで絶対に捨てず、頑なに大切にしてきたモノたちを少しずつ手放し始めた。「今までありがとう」と言葉をかけて。「こんなモノを持っていたら良くない」とか「捨てなければいけない」という外部からの強制ではなく、心からしっかりと納得できた上で袋に入れていった。

 

 日に日に判断力も磨かれていき、気持ちの整理もついてくるので、捨てる量も徐々に増えていき、結果として相当数のモノを減らすことができた。自分にとっての大物を捨てた日には、背中が何だかスースーするような、身体がいつもより軽く感じられることもあった。

 

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 もちろん、その数日で過去からずっと持っていた感情や引きずっていた気持ち、わだかまりが全て解決したわけではない。だが、そこからさらに時間が経過し、また断捨離に励んだり、考えたり向き合ったりしているうちに、最近ではその過去への思い・マイナスの感情が薄れてきたように感じられる。

 

 過去の出来事のフィルターを通さずに、純粋に「今」を見られたのは初めてかもしれなかった。大切なのは「過去」ではなく「今」である、過去でも未来でもない今の私なのだ、と改めて強く思った。

 

 目に見えるものを通して、目に見えないものへアプローチするという体験ができたのは大きかったと思う。片付けることで過去にも片が付く。結局「過去」にとらわれて自分を縛り付けていたのは、自分だけだったのかもしれない。

 

 言葉で言うのは簡単なのだが、「今を生きる」というのは当たり前のようでなかなか難しい。また長年の思考の癖で、軸はいとも簡単に「過去」や「未来」に行ってしまう。でも、そこでまた気が付けば大丈夫なのだと思う。そんな自分を深く責めるでもなく、あっけらかんとしてまた「今」に焦点を合わせて、生きていけたら良いのかなと思う。