窓辺のレモンティ

社会人となり数年。今この瞬間、自分を生きるために。

洗脳は他人事ではなかった。

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 洗脳なんて、どこか他人事のように思っていた。けれど、これまで学校で受けてきた教育は考えてみれば洗脳そのものだった。

 

 子供の頃、親や先生の言うことは私にとって絶対的なものだった。中には「こんなことは馬鹿馬鹿しい」とか大人たちの言葉の真偽を見極めて、自分でしっかりと判断できた人もいるだろう。洗脳などされなかった人もいると思う。

 

 でも、私はすっかり信じ込んでしまっていた。恥ずかしい話だが、親や学校や先生は絶対的な存在で、絶対的に正しいことを言っているものだと思ってしまっていたのだ。

 

 私は、学校で言われてきた数々の「~してはいけない」「~しなければならない」等々の言説を鵜呑みにし、それらに素直に従って学校生活を送り、せっせと勉学に励んでいた。努力が称賛され、協調性が求められ、集団行動が重視される環境。道徳規範を教え込まれ、多くの常識・当たり前を刷り込まれる。不満や理不尽にも耐え、我慢を美徳とし、その先にだけ成功があるストーリー。

 

 こうした教育を経て最終的に出来上がるのは、「常識」を身につけた従順な国民であり、労働者だったのだ。これでは軍国主義時代の教育と本質的には何も変わっていないではないか。

 

 私たちが就職活動を経て企業から得る内定通知書は、もしかしたら学校教育の結果、見事に「従順な労働者」になったという証なのかもしれない。このように考えると、内定通知書とは、すなわち「家畜証明書」であり「従順証明書」であり「思考停止認定書」とも言えるだろう。

 

 最近になってようやく、私は綺麗に洗脳されてきた一人だったのだと思い知った。これまで絶対的なものだと思い込んでいた「正しいとされること」や「常識だとされること」が必ずしもそうではないこと、むしろそれらに縛られていることをようやく認識できたのだ。そして今更ではあるが、今まで信じ込んでいたものが一つの価値観に過ぎず、他に無限の選択肢があり、自由が広がっているということを知ったのだ。

 

 今ではその押し付けられてきた価値観が習慣になるほどに染みついてしまっている。けれど、洗脳されてきた過去を悔やんで悲観したいわけではない。今更ではあるけれどそのことに気付けたということは、今後の行動で未来は変わるということだ。これからは自分で踏んでいたブレーキを、少しずつではあるが離せるような気がする。

 

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