窓辺のレモンティ

社会人となり数年。今この瞬間、自分を生きるために。

この人には勝てない―そう思った理由とは。

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 学生時代を通して、私は徐々に優等生的な気質を備えていった。そんなとき新しいクラスで、ある女の子と出会った。テストの点数や成績の良さなどの表面的な部分を見れば、私と彼女はとてもよく似ていたと思う。しかしある時、彼女が勉強に取り組む姿を見て、「あ、この人には勝てないな」と直感的に思ったことをよく覚えている。

 

 負けず嫌いであるはずの私がそんな風に思ったことに、自分でも驚いた。それは「才能」や「努力」の差といったものではない。そうでないことはわかったのだが、その時は自分がなぜそう感じたのか、はっきりとはわからなかった。

 

 そのことに関してはそれ以降、なるべく考えないようにした。何かに気付いたけれど、気付かないふりをしていたのかもしれない。考えてしまったら、今やっていることや自分の歩みが止まってしまう気がしたからだ。

 

 今はそれが何であったのか、わかるような気がする。

 

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 私に、学ぶことが好きな面があったのは事実だろう。しかし根本的には、「ダメな自分」を「ダメじゃない自分」、「できる自分」、「価値ある自分」にしようとしていた。認められたい、褒められたい、と勉強をしていたところは大いにあったと思う。

 

 当時、私は努力を重ね、限界に限界を重ねて、これ以上はもう無理、というところまで来ていた。イメージとしては、頭が天井にスレスレの状態で、もうぶつかる、止まる、という感じだったのだ。

 

 一方で彼女は、やりたいことを本当に好きなようにやっているだけに見えた。好きだから、楽しいから学んでいただけなのだ。私の想像でしかないけれど、それは彼女を見ていたらよくわかることだった。

 

 新しいことを学ぶことが心底楽しくて、わからないことがあればどうしてなのか本当に疑問に思い、好奇心から知りたいと思って、学びに没頭していた。おそらく教科書通りの勉強ではなく、自分の興味・関心から入ったり、繋げていったりしていたのだろう。何より、とても楽しそうだった。

 

 彼女にとっては、別に成績や順位なんてあまり重要ではなかったのだろう。自己肯定感の低さゆえに、必死に自分に何かをプラスしていこう、としていたわけでもない。ただ心の声に従って、しっかりと自分を生きていた。無邪気な彼女の姿は、一見子供のように単純に見えるけれど、実は深いところで生きている証でもあったのだ。

 

 一方で当時の私は、本当の心の声など聞く暇もなく、たとえ聞こえたとしても無視し続けていたのだろう。常に自分を律して、コントロールして勉強していたように思う。それが良いことだとさえ考えていたのだ。頭で心を操っていたのかもしれない。そんな私は彼女とは対照的に、表面的に生きていたとも言えるだろう。「この人には勝てない、次元が違う」と感じたのは、本当に生きている次元・ステージが違ったからなのだ。

 

 彼女は、自分らしくあるがままに生きていたのではないか。私の場合は、楽しい面もあったけれど、どちらかと言えば苦しかった。心の声に従ったものではなかった。ダメな自分を改善する終わりなき戦いであり、自分を殺して頑張っているに過ぎなかったのだ。競争に勝つとか認められるとか一番になるとか、本当はそんなことばかりを考えていたのだろう。さらに学校での成果が、本当の意味での「優秀」、「頭の良さ」ではないことにも、あまり気付いていなかった。

 

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 私は努力こそ最も価値あるものだと考えていた。でも一流アスリートや有名人、著名人の中には「努力していない」と言う人も多くいて、そのたびに私は「そんなわけない。嘘だ。努力しているに決まっているではないか。」「謙遜してそんなことを言っているだけだ。」「努力しなければ成功なんてできない。」とずっと思っていた。

 

 けれど、傍から見たら「努力」に見えること、「努力」だと片付けられてしまうことは、実は本人は好きで楽しくて、やりたくてやっていることなのだと気付いた。思わず夢中になって没頭してしまうこと、自分が本当にやりたいことを、彼らはやっている人なのだ。また、練習や何かがたとえ本人にとって苦しいものだとしても、それは「好きなことのためなら苦しいことも嫌いなこともできてしまう」という類のものなのだと、今は強く感じている。

 

 いわゆる「常識的な社会人」にとっては、「好きなことをする」「やりたいことをやる」というのは難しいことだろう。難しいなんて、きっと錯覚に過ぎないのだけれど。そんな「常識的な大人、社会人」の一人であった私だが、今は頭ではなく心を中心とした生き方をしたいと思っている。彼らのようにありたい。たとえそれが世間一般や常識とは異なる道だとしても、数なんかに惑わされず、自分の心を見て生きたい。こうして日々新たな気付きを得ながら、少しずつ価値観や生き方が変わっていけば良いなと思う。

 

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 前回の記事についてブックマークでコメント等を頂き、ありがとうございました。救われる思いがしましたし、嬉しかったです。

 

【前回の記事はこちら】

seto-konatsu.hatenablog.com