窓辺のレモンティ

社会人となり数年。今この瞬間、自分を生きるために。

うつ病から回復し、自然の美しさに感動する。

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 私がうつ病から徐々に回復してくると、精神面と身体面で様々な変化が現れた(今まではっきりとは書いていなかったけれど、うつ病だったのだ)。中でも驚いたのは、自然があまりにも美しく感じられるようになったことだった。

 

 青く晴れ渡った空のなんと綺麗なこと、木々の葉の緑の美しいこと。樹木の葉っぱは太陽をその縁に光らせて輝き、生命力に溢れていた。葉1枚1枚の輪郭がくっきりとしていて、まるでメガネかコンタクトの度がガチッと合ったようにクリアに見えた。

 

 私は窓から景色を眺め、空や植物を見てはその感動をしきりに訴えていた。私があまりにも「綺麗だ、綺麗だ」と騒ぐものだから、周りもびっくりしていたようだ。でも本当に「なんじゃこりゃ」と目を丸くしてしまうほど美しかったのだ。

 

 私は、それまで自分が見ていた景色がどんなものであったか、あまり思い出せない。けれど少なくともこんな風に感じたり、感動したことなどまるで無かった。いったい私の瞳は何を映していたのか、色が付いて映っていたのかさえ自信がない。死んだモノクロのような世界を見ていたのかもしれないなとも思う。

 

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 そんな風に感動に心を震わせていた私だが、少し経つと「これは一時的な現象に過ぎないのだろうな」と考えてちょっと寂しくなった。

 

 今まで見ていた世界がよっぽどひどかったのだろう。それがいきなりクリアかつ彩り溢れた光景に変わり、自然の生き生きとした姿がわかるように、感じ取れるようになった。美しいものを美しいと思えるようになったのだ。その振り幅の大きさがこれほどの感動につながっているのだろう。

 

 でも言ってしまえば「普通」に戻っただけだ。これまで自分が見ていたものの方が異常で、今驚いている風景はみんなが日常的に見ている景色なのだろう。時間が経てばおそらく慣れてしまい、こういうことも思わなくなってしまう。正常に戻ってほしいのはもちろんだったが、この感動が薄れてしまうのは惜しいという気持ちもあった。

 

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 ところがそれからもう何年か経ったけれど、実はあの時の新鮮かつ強烈な感動は今も持続している。もしかしたらあの時ほどではないかもしれないけど、ほとんど薄れることなく今でも感じられるのだ。

 

 青い空に白い雲。「あぁ綺麗だな、なんて美しいんだろう」と思わず見惚れてしまい、いつまでも眺めていたくなる。青空を背景にして葉っぱが1枚1枚鮮やかに浮かび上がる。夕暮れ時の、いわゆるマジックアワー(マジックタイム)と呼ばれる時間帯も好きだ。夕焼けのオレンジと空の淡い水色、青、紺。たなびく雲に、淡いピンクと薄い紫とスカイブルーのグラデーション。今という一瞬限りの自然の芸術は実に美しく、幸福な気持ちになる。

 

 私は自然を眺めるのがとても好きになった。車や電車での移動中もスマホなんか見ている場合ではないと思い、空を見上げたり、景色を見ていることも多い。少しでもこの世界の美しさを見たいと思うし、見逃しまいとしているのかもしれない。自然をこんな風に美しく感じとれるようになったのは本当に幸せなことだと思う。そう感じられることが、今では「心が健康であるか、自分を生きられているか」の一つのバロメーターにもなっている。

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