窓辺のレモンティ

社会人となり数年。今この瞬間、自分を生きるために。

ダンシャリアンとミニマリストの違い。

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 世間のブームからはだいぶ遅れて、私は今年に入ってから断捨離と出会った。言葉は以前から知っていたのだけれど、「単にモノを捨てるだけ」というイメージがあったのだ。ところが実際に本を読んでみると、単なるモノ減らしではない。「これは自分自身を生きることに繋がる哲学だ」と感銘を受け、実践するようになった。

 

 断捨離をしていく中で、今度はミニマリストなる存在を知った。みなさんご存知かと思うが、ミニマリストとは

持ち物をできるだけ減らし、必要最小限の物だけで暮らす人。自分にとって本当に必要な物だけを持つことでかえって豊かに生きられるという考え方で、大量生産・大量消費の現代社会において、新しく生まれたライフスタイルである。                     引用元コトバンク

 

 最近は特にこのようなミニマリストの方を多く見かける気がする。テレビや雑誌で特集があったり、ブログでもその人気がうかがえる。しかし私にはどうも合わないようだ。

 

 ミニマリストの方々を批判したり否定するわけではない。考え方も生き方も幸せのかたちも、言うまでもなく人それぞれだ。私も、自分の持ち物等を見直し、本当に必要かを問いかけ、モノ以外の豊かさに重点を置くというのは大切なことだと思っている。しかし私は、自称するならばあくまでもダンシャリアンであり、ミニマリストにはならないと思う。

 

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 ミニマリストの方のお宅を拝見しても、申し訳ないけれど、感動や羨ましさではなく何だか気の毒に思えてしまうのだ。入居直後のような何もない殺風景な部屋には違和感を覚え、異様な感じさえしてしまう。そこにあるのは必要最低限の生活である。あらゆる彩りは失われ、ときめきやワクワクも感じられない。

 

 昨日友人と話をしていてミニマリストの話題になったのだが、あれも必要ない、これも必要ないと突き詰めるところまで突き詰めると、最終的には家さえもいらなくなるのではないか。その究極的な形はホームレスではないかという話になった。一口にミニマリストと言っても多種多様であり、私がイメージするのは極端な例なのかもしれないけれど…。

 

 でもミニマリストというと、やはり「所有物を極限まで減らす」というイメージが私の中にはある。そこで重要とされるのは、モノとの徹底的な対決と決別。重視されるのは合理性や機能性、効率性だろう。

 

 大量生産・大量消費時代の反動現象として理解できる面もある。しかしこれまでの、「モノに囚われ、モノを意識している」という状況が別の形をとって現れただけではないかとも思う。今まではモノの過剰摂取、例えていうなら過食症だったものが拒食症になってしまったような、どこか不自然で病的な印象を受けるのだ。モノを過剰に溜め込むこととモノを異常なまでに減らすことは、対極なように見えて実は根源は同じではないか。

 

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 一方でダンシャリアン(断捨離を実践する人)は、モノに埋もれるのではなく、かと言って全て排除するのでもなく、その間にある適正なポイントをつかむのだと思う。

 

 断捨離は、自分にとって「不要・不適・不快」なモノを「要・適・快」なモノへと入れ替えていくプロセスだ。その際に重要となるのが、判断の基準を「本来の軸」へしっかりと戻すこと。つまり、私たちはついつい過去への執着や未来への不安に心を占められてしまうが、そのブレてしまいがちな時間軸を「今」に戻す。そして他人やモノに移ってしまっていた軸を「自分」に据え、自分の気持ちを大切にする。

 

 断捨離は、空間やモノの新陳代謝を促すと同時に、「今、ここ、私」に焦点を当ててごきげんに生きるための一つの方法である。モノに溢れかえって居場所を失くしている現代人が、自分を取り戻し生きていくための一つの知恵でもあると思う。

 

 私はミニマリストではなくダンシャリアンでありたいなと思う。また、モノを減らすことそのものを目的とせず、あくまでも断捨離を一つのツールとして捉えたい。断捨離という道具を使って、自分がごきげんに暮らせること、今この瞬間を生きられるようになることが真の目的だ。

 

 今の私にとって必要か、自分にふさわしいか、これがあることで私は心地よいか、という小さな判断を積み重ねていく。このような日常レベルから「今、ここ、私」を生きることを身につけていけば、考え方を変えることができ、人生も変わっていくのではないかと思う。