窓辺のレモンティ

社会人となり数年。今この瞬間、自分を生きるために。

なぜあの人にイライラしてしまうのか?

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 最近、些細なことでイライラしてしまうことが多い。自分が嫌な気持ちになるだけだし、そんなにムキになって怒らなくてもいいのに、それよりももっと良いことに目を向けて楽しく過ごそう、と思うのだが、どうしてもイライラしてしまうのだ。その度にまた自分を責め、自己嫌悪に陥る。もっと心穏やかでいたいのに、日常生活の様々な場面でイライラとしてしまうことがよくある。

 

 例えば、電車やバス内で大声で話している人、イヤホンからの音漏れがうるさい人、歩きたばこをしている人、話を聞かない人、やる気がなく不愛想な店員さんなどなど…。生きることがどうの人生がどうのと考えている私だが、普段の生活でルール違反やマナー違反、非常識な行動を見つけては、いちいち腹を立てている自分が本当に小さく情けない。

 

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 以前本で読んだのだが、「他人の行動にイライラしてしまう理由は、その人が自分の欲望を体現しているから」というような文章があった。つまり、自分が腹を立てている相手は、自分が本当はやりたいと思っていることをやっている人、だからイライラするのだということだ。

 

 これを一番初めに読んだときは、「まさか、そんなわけない、何を言っているんだ」という気持ちだったが、今では「そうかもしれない、いやおそらくそうだろう」と思っている。

 

 たぶん、幼いころから抑圧してきた感情や行動がいくつもあるのだと思う。私たちは学校や家庭での教育によって「こうしてはいけない」「こうすべき」「こうしなければならない」という様々な常識や道徳を教え込まれる。もちろん、人間が社会で生活していくためにはある程度必要なことではあるのだが、次第に自分がこのような規則にガチガチに固められてしまう場合がある。親の価値観や視線を自分の中に持ち、自分で自分を束縛して、許さなくなる。私もその一人なのだ。

 

 例えば冒頭の話で言えば、「他人の迷惑となるような行動は絶対にしてはいけない」「公共の場で大声で話してはいけない」「人の話は目を見てよく聞かなければならない」「店員さんは愛想よくお客さんに接すべき」などの考えが私の中に強固にあるのだろう。

 

 自分は、このような「すべき」「してはいけない」「しなければならない」を忠実に守っている。だからその枠から外れた言動をする人を見たり、それを平然とやっている人を見ると、イライラしてしまうのだ。

 

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 認めたくはないけれど、本当はそんな彼らを羨ましく思っている部分があるのだと思う。本当は自分もそんな風に振舞いたいけれど、禁止したり抑えつけたりして、自分に許可していないのだ。確かに考えてみれば、そもそも自分にそんな欲望が無いのであれば、わざわざ「~してはいけない」なんて考える必要はないわけである。

 

 自分の中にも本来、そのような感情や側面があることを認めることが第一歩かもしれない。だから日常で腹立たしい場面に出会ったら、「考えられない」「まったく常識のない人だ」「あり得ない」と思うのではなく、「自分にもこういうところがある」「自分も本当はこういうことをしたいのかもしれない」という風に考えてみる。

 

 こんな風に相手の行動を見ることができると、自分が何に縛られているのかも、おのずと明らかになっていく。相手に対する感情や態度も少し変わってくるかもしれないなと思う。