窓辺のレモンティ

社会人となり数年。今この瞬間、自分を生きるために。

「危険な道」を選ぶと、いのちがパッと開く。

 先日の記事でも触れた、岡本太郎氏の著書「自分の中に毒を持て」。今回も、その著書から学んだ「ほんとうの自分を生きるヒント」について書いてみたい。

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 岡本太郎氏は「人間は、常に二つの道の分岐点に立たされている」と言う。その二つの道とは「安全な道」と「危険な道」だ。私たちは普段の生活でも、朝起きてから寝るまで、この分岐点に立って実に様々な選択をしている。そしてこの分かれ道はもちろん、人生における選択の際にも、私たちの目の前に存在する。

 

 ここで言う「安全な道」とは常識通りの道であり、自分の身の安全や世間体も保証されるような道だ。一方で「危険な道」とは、生活の保障もなく不安定で、世間の常識からは外れた道。そちらに行ったら一体どうなってしまうだろうと不安になる。けれど、実は情熱を覚え、心の底では「行きたい」と願う道だ。

 

 多くの人は「危険な道」に心惹かれながらも(例えば何か別のことをやりたい、会社を辞めたい、他の道に進みたいと望むサラリーマンなど)、生活や世間体を考え、「安全で間違いのない道」を選んでしまうという。しかしそんな私たちに対して、岡本太郎氏は「危険な道」を選ぶことを勧める。なぜなら、危険だと感じる道こそ心が望む道であり、その人にとって「ほんとうの生き方」ができる道だからだ。

 

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 「安全な道と危険な道があったら、危険な道を選べ。」という言葉は、「簡単な道と困難な道とがあったら、困難な方を選べ」という言葉に似ている。しかし、その中身は全く違うと思う。一般的によく言われる「困難な方を選べ」というのは、そちらの方が成長できるから、後々自分のためになるから、苦しみを乗り越えて強くなり、多くを学べるから、といったような一種の精神論や根性論が元となっているように思う。

 

 しかし、岡本太郎氏は違う。彼が危険な道を勧めるのは、それがあなたが本当に行きたいと思っている道だからなのだ。情熱を燃やす何かがあり、心が叫んでいる道だからだ。確かにそちらに行ってしまえば、自分はどうなるかわからない、食べていけないかもしれない。失敗する可能性もある、というより、その可能性の方が大きい。そんな時に、失敗したらその方が面白い、食べれなければ食べれなくても良いと覚悟を決めて、とにかく自分を貫いて、自分の心が惹かれる方に賭けろと言っているのだ。

 

 そもそも、もし食べることだけを考えるのであれば、「安全な道」と「危険な道」とで迷うことなどないだろう。安全な道一択であるはずだと岡本太郎氏は言っている。

 

そうじゃないから迷うんだ。危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。ほんとはそっちに進みたいんだ。(出典:「自分の中に毒を持て」岡本太郎)

 

 本当にその通りだと思う。なぜ迷うかと言えば、そっちが自分の進みたい道だからなのだ。

 

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 彼の子供時代のエピソードを知ると、確かに彼は、幼いころから「岡本太郎」そのものだったのだなということがよく理解できる。でもそんな彼も、はっきりと「危険な道をとる」と決意したのは25歳のときだったという。それまでは人生や生きることについて、私と同じように、みんなと同じように、悩んでいたというのだ。

 

 でも一度「危険な道をとる」と覚悟を決めた後の彼はすごかった。自分の生きる筋を決して誰にも渡さなかった。お金にならなくても、食べれなくとも、好かれない絵を描き、あらゆる分野で発言しつづけた。自分を貫き通したのだ。

 

 数十年前の日本は、おそらく様々な面で今よりも自由ではなかっただろう。その社会で、どんなに批判され叩かれ悪口を言われ非難されても、そしてどれほど孤独と絶望を味わおうと、「出る杭」であり続けたのだ。

 

 彼は自らの生き方と芸術でもって、危険な道をとることが、ほんとうに自分を生きることなのだと身をもって教えてくれた。惰性的に生き、いつまでも煮え切らない態度の私たち日本人に対して、自分を生きていない私たちに対して。彼の存在には非常に勇気づけられるし、生きるとはどういうことなのかを思い出させてくれる。「危険な道をとる」、それは私のこれからの人生の選択にとって、とても重要な指針になると思う。