窓辺のレモンティ

社会人となり数年。今この瞬間、自分を生きるために。

インターネットをこころのセーフティーネットに。

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 私は以前うつ病を患っていたのだが、その回復期のこと。長い間寝たきりの状態だったのだが、その頃になると徐々に起きていられる時間が増えてきた。ほんの少しなら活動できるようになり、意欲らしきものも微かに出てきたときだったと思う。

 

 その時に強烈なストレスを感じるようになった。外出していないこと家族以外とは話せないことが、大きな要因だった。ずっと家に籠っていると、やはりストレスが溜まってくる。看病に徹しサポートし続けてくれる家族は本当にありがたかった。しかし家族以外の人と話せないことは、フラストレーションにもなっていたのだ。

 

 友人と会って話が出来たらいいな、遊べたらいいなと思う。けれど、その時の私には外出すること自体、体力的にも精神的にもまだまだ難しい状況だった。ましてや誰かと会って話したり遊んだりなんて、とてもできる状態ではない。それに病気を患ってから友人とは連絡を取っておらず疎遠になっていたし、会ったところでこちらから話せる話題もない、近況も出来れば喋りたくない、という状態だったのだ。

 

 ずっと家にいること、そして家族以外と接することがないということに強烈なストレスを感じる一方、体力的にも精神的にも人と会うどころか外出さえできない自分の状況。私はどうにもならない矛盾とジレンマを抱え、日々を過ごしていた。

 

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 そんな時に救われたのが、ネットだった。その時の私の状態に、インターネットは最適だったのだ。外出したりはできないけれど、インターネットなら少しはできる。それまでネットを使うことはあまり無かったのだが、少しずつパソコンに触れるようになり、居心地の良い場所を見つけることができた。家に居ながらにしていろんな人と会話をしたりゲームができる。ストレスは幾分和らぎ、日々の新たな楽しみとなった。

 

 私が行っていたのは、別にうつ病患者のコミュニティというわけではない。誰もが自由に来られる場所で、そこでは軽い会話を交わしたりゲームをすることができる。みんなで緩やかなつながりを持ち、気楽に気軽に楽しい時間を過ごせた。

 

 そこに集う人々の本当の年齢は、私にはもちろんわからないけれど、いずれも「普通」ならば学校や会社に行っているはずの人が多かったように思う。自分の状況を話す人もいたけれど、多くの人は特に話さず、相手に対しても深くは立ち入らなかった。でもやはり、平日の昼間からネットのこの場所に来られるということは、みんな何かしら抱えているのだろうと思っていた。

 

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 何度も訪れるうちによく会う人とはとても仲良くなったし、何となく「いつものメンバー」のようなものも出来上がって、私にとってはくつろぎの空間になっていた。イメージとしては田舎によくあるような、地元の人が集う憩いの場という感じだ。特に理由もないけれど、何となく足を運んでみる。行けば誰かがいて、お茶でも飲みながら世間話をするような感覚だ。

 

 しばらくそんな日が続いたけれど、そのうちに私自身は現実の生活が回り始めるようになった。病状も快方に向かい、外にも少し出られるようになってきた。新しいことを始めてみたりして、徐々に忙しくなったのだ。いつの間にかそのコミュニティに顔を出す頻度も少なくなっていた。たまに行くと「そう言えば、最近見かけないな」という人も出てきた。一人減り、二人減り、他のみんなも同様だったのだ。

 

 ある日、久しぶりに覗いてみると顔見知りはおらず、ほとんどが知らない人となっていて、コミュニティの色は随分と違うものになっていた。少し寂しく思ったけれど、同時に嬉しかった。みんながどのような理由で来なくなったのか本当のところはわからない。けれど、私のように現実の世界に戻っていった人が多いような気がしたからだ。ここに来なくても大丈夫になったのだ。この場所から巣立っていったような感覚だった。

 

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 私の場合はこのような形でネットの空間に助けられた。ネットによって外の世界(のようなもの)と繋がることができたし、自然とリハビリにもなっていたように思う。また現実を生き、日常生活に戻るための足掛かり的な場所だったとも思っている。

 

 コミュニティでもブログでも、気持ちを吐き出したり、交流を持つことで救われることはあるだろう。誰かのブログや投稿を読んで、自分だけではないのだ、同じように苦しんでいる人がいるのだ、と思えるかもしれない。こんなにひどい状況でも治った人がいる、と希望を持てたりするかもしれない。

 

 凄惨な事件が起き、恐ろしく思うと同時に胸が痛む。注意しなければならないことも多々あるが、インターネットが心のセーフティネットの役割を果たす面も大いにあると思う。何かしらの傷を負った人たちのための、一時的な空間、緩やかなつながり。みんなが一時、立ち寄ることのできる憩いの場。現実世界への足掛かり。インターネットがそんな場所を提供し、現実を生きるための一時的な力になってくれればと思う。