窓辺のレモンティ

社会人となり数年。今この瞬間、自分を生きるために。

平日の昼間に小さくなっていた自分。

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 少し(?)前に、ようやく会社を辞めた。思えばこのブログを始めたのは、会社や現在の日本の働き方に対して強烈な違和感を覚えたことがきっかけだった。その後私は人生と向き合うこととなり、自分の生き方を改めて考えた。結果、辞めるに至ったのだ。この先どうなるかはわからないけれど、ひとまず会社を辞める意思を貫けたことは良かったと思っている。

 

 会社を辞めて、平日の昼間に外出することが増えた。けれど外で見かけるのは、ご高齢のおじいさんやおばあさん、小さい子供を連れた主婦らしき方がほとんどだ。当然と言えば当然なのだけれど、同年代の人を見つけようとしてもなかなか難しい。たまに見かけたとしても、営業で外回りをしているらしいスーツ姿の人が多い。

 

 何だか自分だけが浮いているような、場違いな所に来てしまったのではないかという感覚がする。周囲の人はもちろん何も言わないけれど、勝手に視線を気にしてしまう。好奇の目で見られているように思い、視線から言葉を感じてしまう。「どうしてこんな時間からこんなところにいるの?仕事は?働いていないの?」と言われているような錯覚に陥る。おそらく、責めているのは自分だけなのだろうけれど。

 

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 信念(のようなもの?)があって辞めたのに、どこか後ろめたい気持ちがあって、無意識に罪悪感さえ覚えているのかもしれない。そして昼間の街中で、いつの間にか小さくなっている自分に気付く。そんな自分に愕然とする。でも人生で大事なことって何だろうか。私が大切にしたいことは何だったのか。

 

 人から認められること、評価されること。周りから「すごいわね、立派だね」と言われること。一般的な流れに沿って、常識的で無難な道を歩むこと。自分を犠牲にしても働くこと。お金をたくさん稼ぐこと。社会的に成功すること。そんな事ではなかったはずだ。

 

 私にとって最も価値のあることは「ほんとうに生きること」自分の生きる筋を誰にも渡さないこと、そして自分で人生を切り拓いていくこと。大げさかもしれないが、決して魂を売らないことだ。人並みの幸せ、社会的成功、出世、お金をたくさん稼ぐ、良い会社に勤める、そんなこととは関係がないのだ。働いていようがいまいが、私が大事にしたいのはそこなのだ。

 

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 他人から見たら今の私は無職、ニート、プー太郎と言われる。そういう分類を受けたとしても、誰に何を言われても「自分はほんとうに生きているんだ」というプライドさえあれば何も恥じることはないはずだ。もちろん働いている人が自分を生きていないなどと思っているわけでは全くないし、私もまたすぐに何かの仕事を始めるかもしれない。ただ、今の私は働いていたときよりもよっぽど人間らしく生きていると感じる。それは自分の心と体が一番知っている。

 

 右を見ても左を見ても従来型の価値観に染まる世の中で、まだまだブレてしまう。簡単に曇ってしまって、見えなくなることもある。それでも目を凝らして、一番大事なことや本質をしっかりと見つめていたいと思う。表面的な事柄では無くて、その奥深くにある精神の問題。自分が生きる上で大事にしたいこと、「ほんとうに生きる」ということ。それさえ見えていれば、そして世間的な評価はどうであれ自分の生き方がそれに適っていれば、小さくなることなんてない。顔を上げて歩いていたいなと思う。