窓辺のレモンティ

社会人となり数年。今この瞬間、自分を生きるために。

ブラック企業でなくても働くのが辛いのはなぜ?

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 友人は、入社した先がいわゆるブラック企業だった。毎日夜遅くまで残業をするが、残業代がきちんと支払われることはなかった。有給休暇を取るなんて夢のまた夢。それどころか休日を含め、ほぼ毎日働き通しだった。彼女はその後転職し、今はそこそこ楽しくやっているらしいが、このようなブラック企業は言語道断だろう。

 

 しかし、最近はブラック企業ではないけれど働くことが辛かったり、何らかの違和感を覚える人が増えているという印象を受ける。私も含め、周りの友人知人にも結構いるのだ。

 

 残業が多すぎて毎日夜中近くにしか帰れないわけではない。定時とまではいかないが、許容範囲内に帰宅することはできる。残業をすれば働いた分がしっかり支払われる(当然のことだけれど)。週休二日制で、事前に相談すれば有給休暇が取れないこともない。福利厚生もそこそこ充実しているし、給与も悪くはない。

 

 「良い条件じゃないか」「羨ましい」「そんな環境で働けることに感謝すべき」と言う人もいるかもしれない。だけど、なぜ疑問や違和感は消えないのだろうか

 

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 まずは、働き方の問題があるかもしれない。これは私の個人的な気質や体力的な問題も影響しているとは思うが、そもそも1日8時間、週5日働くこと自体が無茶なことではないかと感じている。今まではこのスタイルが常識だったかもしれないけれど、かなり無謀ではないか。毎日1時間以上かけて通勤し、これだけの時間及び日数働くのを大変だと思うのは、実は当然のことかもしれない。

 

 仕事に対する価値観の変化も大きいだろう。これまで仕事は人生の土台であり、人生のほとんど全てを捧げる対象であったと思う。でも現在は「仕事に一生を捧げたくはない」「仕事一色の人生なんて嫌だ」と思う人が増えているのではないか。仕事はもはや人生の中の一つの要素に過ぎず、他に大事なことはたくさんあるのだ。

 

 ただ稼げれば良い、生活の糧を得られれば良いというわけでもなくなっている。やりたくないことをやったり、意味の感じられないことをやるのはもううんざり。組織の古い体質や無駄に嫌気がさしている人も多いと思う。都合の良いように押し付けられた我慢や忍耐でだましだまし過ごすのではなく、自分が本当にやりたいことをして生きたいと思い、行動に移している人は今の世代に多いような気がする。

 

 海外の子供たちの支援を行っている知人がいる。経済的には安定していないし、収入も少ないようだが、実に生き生きとしていて、その楽しさがこちらにも伝わってくる。物質的に豊かになった今、お金やモノの所有ではなく目に見えないものに価値を見出す人は多い。

 

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 現在の「仕事」や「労働」はそれ自体にすでに多くの問題が含まれているし、常識が通用しなくなっている部分がある。グレーやホワイトな企業であっても、この「仕事」や「労働」の問題は共通して存在しているから、働くことへの辛さや違和感が付きまとうのは当然なのだ。共通の問題のその上に、さらに企業がブラックかグレーかホワイトか、という問題があるのだろう。

 

 1日8時間×週5日の労働が限界を迎えている。人々の仕事の捉え方、人生の中での位置づけは大きく変化してきている。重要軸は「組織や全体」から「個」にシフトしている。物質的な豊かさから目に見えないものに価値を置くようになっている。自分の「やりたいこと」を尊重し、納得した生き方をしたいと思い、自分がどう生きるかをより大事に考える。

 

 今はちょうど価値観の過渡期にあるような気がする。私のように、いわゆるブラック企業でなくても働くのが辛いと感じたり、仕事に対して違和感を覚えている人がいたら、それは全然おかしくないのではないか。今後労働のかたちが大幅に変わり、個が花開く時代になっていくのかもしれない。

 

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