窓辺のレモンティ

社会人となり数年。今この瞬間、自分を生きるために。

自分の内と外に「遊び」を取り入れる。

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 以前よく通っていた道に空き地(?)があったのだが、久しぶりに行ってみるとコインパーキングになっていた。最近は有料駐車場が本当に多い。中には「こんなところにも!」と思うほど狭いスペースが、コインパーキングに変身していたりする。確かに便利であるし、今の社会では当然の成り行きなのかもしれない。けれど窮屈さ、息苦しさを感じて、少しうんざりしてしまうのも事実だ。

 

 そんなコインパーキングを見ながら、「空間・遊び・余裕」はやはり大切なのではないかと思った。

 

 例えば、家の中。かつては我が家の押し入れには結構な量のモノが詰まっていた。私がする片付けと言えば、中のモノを出しては綺麗に整頓してまた収納するというもので、捨てる選択肢が無かったのだ。今は断捨離をして、押し入れにも余裕が生まれた。空間があると見た目にも綺麗で、見ている自分の心にもゆとりが生まれる感じがする。

 

 ついつい空いている場所があるともったいないと思ったり、有効活用しなければという思いに駆られる。けれど空間を全て使うのではなく、「あえて使わない」ことの効用は計り知れないものがあるのではないか。よく「デッドスペース」と言われるけれど、何もないスペースはモノが滞留せずに空気が流れる場所であり、それこそ「生きた空間」なのかもしれないと思うようになった。

 

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 それから、生活の中の「遊び」も大事だと思う。この「遊び」は、仕事に対する「遊び」でもあるし、余裕の意味の「遊び」でもある。通勤時間や空き時間など、何か時間があるとやはり「有効利用しなければ」と思いがちだ。以前の私は一秒たりとも無駄にしたくなくて、やることを詰め込んでいた。ちょっとした空き時間に勉強したり情報収集したり。それも一つだと思うけれど、「何もしない時間」や「楽しむ遊びの時間」を設けることも必要ではないかと今は考えるようになった。

 

 自分の心にも、余裕を持っていたい。あれもこれもと詰め込んでぎゅうぎゅうになるより、一つ一つ取り除いてみる。足し算ではなく引き算をすると、案外ゆったりと生きられる。自分の中の決まり事信じ込んでいた常識を捨て去るのは難しいかもしれないが、少しずつでもスペースを作ってみると心は軽くなっていく。思考を巡らせることも大切だが、時には何も考えないでボーっとしてみる。すると、心の声も聴きやすくなるかもしれない。

 

 「空間・遊び・余裕」は一見、何の役にも立っていないように見える。空間や時間や自分(人間)を有効活用できていない、と思われるかもしれない。直接的に利益をもたらすわけでもないし、お金を生むわけでもないからだ。でもそんな「無駄」なものが、長期的な視点に立てば最も有効に働くのではないか。昔の日本の住空間には「遊び」という空間があったが、自分の内側(心)にも外側(環境)にもそんなスペースを取り入れたいと思う。